結婚

結婚とは、何だろう?

 

ちょっとヘヴィーな知人は、離婚の勧めをしてくる。

そこには、いつも反発の感情が湧くのだ。

従って、そのヘヴィーな知人はあまり好きでは無い。

もやっとするから。

 

私の結婚は、役割をこなしてきたカタチでしか無い。

そもそも、私自身の命が 結婚には向いてない。

このカタチを継続してきたのは、責任感と言う布石(牽牛星中殺)と、

優柔不断な、勇気の無さと、潔さの無さのなせる業。

そこが、もやっとする原因なのも、わかってる。

 

クリアになればなるほど、

断捨離の仕分けボックスが明確になってくるのだが、、、

 

親元を離れることが、宿命との一致。

この要素をいくつも抱えたまま、親の事業を継ぎ、養子を迎えてこなしてきた。

完璧な陰転人生を送っていた。。。ということなのだ。

そういう見方を知った時、自分の不可解なエネルギーの矛先と流れが

腑に落ちた。

 

宿命と一致する環境を選択できるのも、できないのも、

言ってみれば、それ自体が運命である。

陰転すること自体をジャッジしても、実は意味は無いことに気づく。

算命学では陰転を避けるべき方向としているが、

陰転しなければ体験できないことはある。

陰極まれば陽に転じ、陰があって、陽がある。

 

そもそも、生命の存在は流れの一部だと捉えた場合、

その個人の、仮に幸せと表現する完結は目的ではないのだろう。

 

役割を完結した時、魂が満足するのかもしれない。

役割とは、DNAの存続なのか、

宇宙(神界)の一つのピースなのか?

 

天中殺も佳境に入っている、残り3か月。

天中殺月も二か月目で、これを煮詰まり感というのだろうか。

決算みたいな、通知表みたいな、引っ越しみたいな・・・・

それらをひっさげて、面接しているような w

え? 誰と?

 

こういう時、深海の底から海面のわずかな光を眺めている感覚になる。

 

耳鼻科の外来に行きましょうと、車椅子を持ってきたナースに

歩いていきますから・・・と断った。

左鎖骨下から入れられた点滴を引き連れて、外の人々が居る空間に身を置いた。

髪が無い、マスクをしたヒョロヒョロな男女の区別も一見解らないような存在に、

周りは見て見ないふりをしているのが解った。

外で普通に生活している人々は、すでに私とは周波数がかなり違っていた。

この乖離感が、上記の感覚。

 

ある意味、それは上質な安堵感でもある。

今の私を形成してきた、23年前の体験の一つ。